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最近、一生懸命じゃないな、と思うことがあります。
でも、生活はとっても楽しいのです。 新卒で入社した会社は、将来起業したい、という気持の人が多い会社でした。 仕事は営業で、朝8時から終電まで会社にいました。 私は起業を目指してバリバリ仕事をすることに憧れていましたが 実際にやってみると、とても苦痛でした。 誠実でない営業を強制される、ということが一番の原因でしたが 自分のやりたいことを目指して、ハードに働くということ自体が 自分にとってストレスになるということにも気づきました。 1年半後に転職して、社内で企画を作ったり事務をしたりという仕事になり 労働時間も短くなって、8時半出社、19時には会社を出られる様になりました。 通勤時間は長くなるけど海の近くに引っ越して、 遠距離だった彼とも近くに住めて 夜は夕ご飯をおうちで作って食べて 今年の夏からはダイビングも初めてみて。 とっても精神的に豊かで、充実した生活ができるようになりました。 そして、転職してから バリバリ働いていくことを諦めました。 それまでは、例えば一般職の事務仕事をすることは自分にとって逃げでした。 今の仕事がつらくても、第一線でバリバリ頑張るべきで 事務仕事なんかに逃げちゃいけないってずっと強迫観念で思っていました。 でもバリバリ仕事ができない、それをやろうという強い意志を持てない自分に 強い劣等感を持っていました。 でも、最近それはそれでいいんじゃないのかな、と思い始めています。 あれだけ憧れて1年半やってみたけど、自分にとっては苦痛だった。 好きなこと=ベンチャー起業家としてバリバリ働く事 得意なこと=事務仕事とかで、好きな人をサポートすること って全然違っていたんです。 だったら、別に事務仕事でもいいんじゃないって、思いました。 事務仕事でも、それで自分の尊敬する起業家の先輩をサポートできたらいいな、って。 事務仕事が好きな人って、ベンチャー企業よりも大企業を好む人が多いから 逆に自分は役に立てるんじゃないかな、と。 そう思ってから、ものすごく楽になりました。 簿記の勉強も始めました。 ・・・でも、ね。 昔より、頑張っていないということが嫌なのです。 昔は自分のできることの300%上を要求されて、必死に背伸びをしていました。 今は100%以下でできちゃうんですよね。 ああ、でも事務仕事でも300%が要求されることもあるんでしょうね。 営業だから、事務だから、というわけじゃなくて その時の仕事の量と質なのかもしれません。 書いているうちにそう思えてきました。 今は300%を要求されないけれど、されなくても150%くらいは目指せるような 人になりたいな。頑張ろう。 |
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今年のお盆がやってきました。
いつもコミコミの通勤電車がすいていました。 意外と皆さん、休みをずらさずお盆どんぴしゃにとるんですね。 お盆なので、亡くなった弟のことを思いました。 私が4才の時に亡くなった1つ年下の弟。 9月の夏祭りの神輿を家族で見ていた時に、 父親の背中で心臓発作をおこし、そのまま亡くなりました。 私には弟の記憶はあまりなくて、 私が弟を泣かして父親が怒っていたことのとか べそをかいた弟を私の上の姉が慰めているのを見ていいな〜と思っていたとか ほんの断片しか覚えていません。 一番覚えているのは、亡くなった時のこと。 病院から帰っきてベットに寝かせた弟の横で 父親が泣いてびっくりしたこと。 大人達はベットのそばに集まっていたので 私たち兄弟3人は1階の客室の隅っこにいて まず6歳上の兄が泣き出し、次に4歳上の姉が泣き出し 私は良くわからなかったけど、みんなが泣いているのが悲しくて 最後に泣き出しました。 弟は来年幼稚園に上がるというときでした。 早めに買っていた幼稚園用のシューズが、その年の冬も 階段横の物置スペースにちょこんとあったことを なぜかそこの風景だけ鮮明に覚えています。 自分は末っ子根性に溢れているなあ、と良く思うのですが 4歳までは中間ッ子だったんですよね。 弟の記憶も、末っ子に嫉妬する真ん中の子の気持が入っているし。 三つ子の魂百まで、は当てにならないなあ。 両親は私の2つ上の兄も死産でなくしているので 兄弟5人のうち、下3人の中では私だけが大人まで育ったわけです。 そう考えると、今実家を出て東京で自由にいろいろやらせてもらっているのも すぐ上の兄とすぐ下の弟の分までやらせてもらっているのかなあ と感謝の気持を持たせてもらったり。 また、その分まで親孝行ができるといいなあ、と思ったり。 まあ、何にしても親と兄弟っていいもんですね。 そんな風に思わせて頂いた今年のお盆でした。 |
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